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心の落ち着きを取り戻せる場所を作りたい

心の落ち着きを取り戻せる場所を作りたい
下の田んぼに水が入った。
柿畑をキジが歩いている。
ある人が言った「蛇が出るから、それを狙ってキジが歩くんだよ」
ある人が応えた「イヤねえ 子供たちを遊ばせられないわ」
森の静謐や山奥の隠れ家を求め、都会から越して来た人にとっても、これらのことは「イヤねえ」なのだろうか。
娘が見ていた子供向けのアニメを思い出した。
鳥を狙い猟銃を構えている場面だった。
薮の中から猟師が覗くと、蛙が蛇に喰われ、その蛇を鳥が捕まえていた。
猟師は、その鳥を撃とうと狙ったが、ふと思った。もしこの鳥を撃てば…
次は俺の番か、と。
去年の夏ウルシにやられた。半袖で草刈りをして痛い目にあった。ひと月皮膚科に通って治してもらった。
自然の厳しさを知らない者の、自然讃仰などと、ひどく叩かれた。
自然の敵意は容赦ないことを思い知った。
今思えば、若い頃は都会の熱気と競争社会の騒音から逃げ出したい思いで、
「子供は田舎で」という理由で越して来た。
大釜に煮湯がたぎり、いつも吹き溢れそうな危うさの中、耳から煙を吐き出しながら一分一秒を争って働いた。
あれから二十年、小都市から田舎へ、そして今は森の中の丘の上にいる。
コーヒー豆を焼いて、売って飲んでもらって、合い間に土手の草刈りをし、小さな花を植えている。
世間では職を奪われ、働きたくても働けない人や、長時間労働でボロボロになっている人たちがたくさんいる。
森の中なんて、まったくぜいたくな話だ。何の不足があるものか。

こうして見る自然は畏怖するもので、共棲するものではないな、と思えてならない。でも基本的には優しく、足の踏み入れられないような場所でも無数の生き物は自由に生き、そして力を得て自然は循環している。それらの生き物が偶発的に犠牲にされても、お互いが喰いあっても、生きていけるんだ、というオオラカさがある。その宇宙的なサイクルは私たちに蘇生力を与えてくれ、自分も自然の一部なんだと感じさせてくれるのだ。

コーヒーを淹れながら、丘の上の廃材に寝ころびながら、薮の中の蛇を恐がりながら思っている。
「この丘の上にくる人がここから見える景色をボーッと眺めて、心の落ち着きが取り戻せるたらいいなぁ、本来の自分を思い出せたら、そんな場所が出来たらいいなぁ」と
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桜酔い

桜酔い

桜の季節は朧げで夢でも見ているような不思議なことがあるものです。
山を歩いて植物の調査、研究をしているnさんから聞いた十年以上前の話です。
丁度この時季、枝垂れ桜を観に隣町の笠間(旧友部地区)の寺を訪ねました。
そこで一緒になった九十歳を過ぎた老婦人に誘われて、御自宅でお茶をご馳走になったそうです。
古い神社の近くの長い黒塀に囲まれた敷地には、幾つもの邸が並び、時代と家風を重んじる重厚さを感じたそうです。
老婦人は、御歳には見えず頭脳も明晰で、能や謡曲を諳んじられ、奈良の吉野の茶店の側の桜の事まで細やかに話されました。話も弾みもう一軒枝垂れ桜を観ようと別の場所に移動して、見学して別れたのは夕方でした。
nさんはこの時期、車に乗っていなかったので、山越えをしてバスの通る石岡の八郷地区に向かって歩いていました。
道祖神峠という、その山越えは昼間でも通りが少なく不気味な場所です。nさんが峠に差し掛かったころ、一台の女性が乗った車とすれ違いました。その車の女性は車からnさんに、弁当を手渡したそうです。あまりにも自然なので、躊躇することなく、弁当を頂き食べました。確かに食べたそうです。
山を降り、路線バスに乗り常磐線の石岡駅へと向かいました。その途中、泥酔した男が乗って来ました。からまれたら嫌だな 、と思いながら素知らぬフリをしていると、その男はnさんに近づき親しそうに話し掛けてくるのだそうです。誰か知り合いと間違えている様だったと。とても不思議な感覚だったそうです。
二件とも自分とは違う、誰かに見えていたようです。

この話は何処から始まっているのでしょうか。もしかしたら、老婦人のところからかも知れません。
人には時に、こんな風な不安定な出来事が重なります。霞のかかったりような不確かさは、何故か甘い郷愁めいたものさえ感じさせ、バランスを失います。
桜酔い とか云うのでしょうか。
外は桜が咲き始めました。
花見のつもりが、桜に見詰められないよう
ご用心 ご用心。
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