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ギター文化館には神さまが住んでいる、くるみコーヒーにも。

ギター文化館には神さまが住んでいる
中央、左手 小屋の前がたばこ畑

店内から観えるたばこ畑がずいぶん黄色になってきました。
朝から強い陽射しが背中を焼いて花の水遣りも容易ではありません。
入口の斜面を利用して植えた朝顔が真っ青で少し涼しくしてくれています。
ギター文化館の玄関前の薔薇の花も順調です。花の手入れを教えてくださる人たちのためにも、
いつも綺麗にしていたいものです。
でも、北面の土手には手がつけられません。
ツタウルシがはびこり、先日の強風で栗の枝が根方から裂けるように折れています。
あまりにも、過酷な作業が予測されるため、心が萎えてしまっています。

始めにこのギター文化館の一部で喫茶をやったら、と言われ、ここを訪れたとき、
ホールの暗がりに一枚の額を見つけました。
そこには、この施設が建つ前に、この土地を開墾しながら、夢見たおばあさんの作文が飾られてありました。
畑の真ん中に立って、空や山の景色を見ながら風や空気を感じながら、心から思ったのでしょう。
「ここに白い音楽堂が建って、人がたくさん集まり、田舎の人と都会の人が交流できる場所ができたらいいな。
今は夢のような話だけれど、私はこの夢をぜったいあきらめない」
と書いてありました。そして、おばあさんの夢は実現となり、ここにドーム状の白い建物が建ち、
ギター文化館という名称がつけられました。
私はここでやらねば、おばあさんの夢を具体化せねば、と思ったのです。

つい最近、「ここには、神さまがいるんだよ」
と、いつも冗談ばかり言っている人が真面目な顔で話されました。
「スペインから命懸けでギターを持って来た人がいて、この丘からの景色をグラナダの丘と重ね合わせる人がいて、ギター文化館という名前にしようと思った人がいて、大切な楽譜を預けようと思った人がいて、細部まで細やかにここを建てようと設計、施工した人がいて、素晴らしい響きを生み出すギターを作ろうと思う人がいて、慈しむように大事にギターを弾く人がいて、その人たちの想いが、このドームに染み込んでいるんだよ。気持ちの結晶が漂っているんだよ」
この人は、本気だと思いました。

おばあさんの夢、みんなの夢は、まだ途中です。
くるみコーヒーも微力ながら、できる限りのお手伝い、努力をします。
たくさんの人が楽しんでいただける場所を作るために。
「ここには神さまが住んでいるのですから」


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无妄(むもう)って言葉があるようで

无妄ーむもう
本を読んでいたら无妄っていう言葉が出てきて
なんじゃこりゃって探していたら、易経の中に
「无妄、それ天の命なり。正にあらざれば、ワザワイあり」の一文に当たった。
「妄は誠の反対。いつわり。无妄はいつわりなきこと。
だから邪念、邪欲を捨てよ。さもなくば、自らワザワイを招きとる」
天の道に従い行動せよ、少しでもヨコシマな気持ちが生ずれば、天命助けず。
厳しいことを言っているな〜
无妄って
上の写真 我が家のスージーです。 ちょっと邪悪。

あれよ、あれよと言う間に天道を逸して行く話です。

数年前のことです。こんなことがありました。
その日は大風の後で商店街のシャッターは軒並み閉まっていました。
彼女は風に飛ばされた枝をバリバリと踏みながら駅前のタクシーで来店されました。
少し先に着いていた別の男のお客さまは、窓際の二人掛けのテーブルに付くと伏目がちにコーヒー液の色を確かめるかのようにカップの中を見つめていました。
口数の少ない男の人で、朝の納品の帰りに、たまに寄ってくださるお客さまです。この時間帯は、ほぼ限られた常連客が多く、何となく誰もが顔見知りのような雰囲気になります。
彼女はカウンターの奥の右端の一番暗い席に座ると、やけに豪華なラメ入りの手提げ袋から、本を取り出し読み始めました。普段は饒舌に話しかけてくるのですが、その日はたまに顔を上げ、また降り出した雨を気にしていました。
コーヒーを淹れる手を止め、
「昨日はずいぶん荒れましたね」と話しかけると
「春の嵐、今年はこういう日が、まだ何度もあるわ。わたしには分かるの」
自慢のダイヤの指輪を袖口で拭きながら、視線は外を見ています。
じっとりと湿った木立が黒く不気味に揺れていました。
10分以上沈黙が続いたのち、ボーンと鳴った柱時計の時報の音にかぶせるように彼女は男に話しかけました。
「息子さん、体調はいかが。私とっても心配しているの。ずっと考えてて、どうしても助けたいと思っちゃって。びっくりしたでしょ。ごめんなさいね。信じられないかも知れないけど、息子さんの体調良くなる方法があるの」
突然の行動に男はヒルミ体勢をとり直したのち、
「わかるんですか」と静かに尋ねた。
そして、彼女は「もちろん」と応えた。

その後は、かわいそうなことに 魔がさしちゃったんですね。あれよ、あれよと道が外れていきます。これもひとつの運命なのでしょうか。…… この続きは、機会があれば、いつか。


まあ、不思議な話を信用するしないの話で、よく見聞きすれば分かるようなことも、いっぱいいっぱいの時は頭ん中が蝋人形のようになっちまって、まるで分別がつかなくなっちまう。自分の考え方で妄想を作り上げてるようで思い込みが激しくなっちまってるから、何がなんだか、てんでわからず、これが事実だって言われちまえば、ひんまがった事実も、そう見えなくもねえつうぐらいの話を言われ続けているうちに、そんな気がしてきて、いつの間にやら絶対そうだなんて思い込んじまう。言ってる方ものってきて、暴走列車に乗ってるようで「神さまとどっかで待ち合わせしてる」なんてわけのわからんことまで言っちまう。
まあ、事実なんて曖昧で頼りないものですが、話が進んで時間が経つうちに、まったく別の話になっちまってることもありますね。
端で見てると哀れなんですが、当人たちはいたって真剣なんですね。
面白いか、面白くねえか分かりませんが、世間にはよくある哀しい話です。
まあ、自分の実力以上のものを求めちゃいけませんね。
こんな話は、たまに見かけますが、気持ちのいいもんじゃありませんね。
「人の世は過不足無く って思ってた方がいいようです」
悪いことをすれば悪いことがあるし、良くしてれば必ず良くなるって思ってた方がいいようですね。
気長に待つことが、大変でも必要なんでしょうね。
待ってるうちに死んじまうかもしれませんがね。
それも、良しとしなくちゃ。

无妄ーむもう(みだりでない) いつわりなき道ってことらしいですよ。
自戒でもあるんですけどね。