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ライク ア ローリングストーン

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店内から見える景色もベージュ色。空の青とのコントラストも味があります。

年末は30日まで営業します。年明けは1月4日からの営業になります。
年末年始のコーヒー豆はくるみコーヒーで😄

ボブ・ディランはノーベル文学賞の授賞式を先約があるので、と言って出席しませんでした。
ディランのメッセージを代読したアメリカ大使の言葉の中にもヘミングウェイの名前は出てきましたが、
ヘミングウェイもノーベル文学賞の授賞式には出席しなかったと聞きました。
「最高の作品は一つの孤独な生である。作家は語ることを書くべきであって口にすべきでない」と
ヘミングウェイのメッセージを代読したのも、その当時のアメリカ大使だったそうです。
ディランのメッセージの内容も同じようなものでした。
「自分の歌が文学だろうなんて考えたこともありませんでした。
有名になってからも私の野望は大したことはなく、
自分の歌がラジオで流れるのが自分にとって大きな夢でした。
ただ私の行動のすべての中心にあったのが常に歌だっただけです」
二人ともなんてカッコいいんだろう。
そんなヘミングウェイも最後は猟銃で自殺しました。
晩年は小説が書けずに酒に溺れたそうです。書けないので飲んで飲むと書けないの繰り返しだったそうです。
サン・テグジュペリの「星の王子様」の呑み助を思い出してなりません。

次の星には呑み助がいました。

呑み助は空のビンと酒のいっぱい はいったビンをズラリとならべて だまりこくっています。
王子さまはそれを見ていいました。
「きみは そこで なにをしているの?」
「酒をのんでいるよ」と呑み助は いまにも なきだしそうな 顔をしてこたえました。
「なぜ 酒なんかのむの」と王子さまはたずねました。
「忘れたいからさ」と呑み助はこたえました。
「忘れるって なにをさ?」と王子さまは気のどくになりだしてききました。
「はずかしいのを忘れるんだよ」と呑み助は ふし目になって うちあけました。
「はずかしいってなにが?」と王子さまは あいての気を ひきたてるつもりになってききました。
「酒をのむのが はずかしいんだよ」というなり呑み助は だまりこっくってしまいました。

なんてこった!悪循環のサイクルから抜け出せない自分を見ているようだ。
健全な努力をすればいいものを理屈通りには行かない人間の業を見ているようだ。
文豪ヘミングウェイも、この悪循環のサイクルから抜け出せない同じ人間だと思うとなぜか親近感がもてる。
そして、少し安心して自分もがんばろうと思うのです。
ヘミングウェイありがとう。サン・テグジュペリありがとう。そして、ボブ・ディランありがとう。

ディランがカントリー&ウエスタンの帝王ジョニー・キャッシュの家に招かれた時の話。

食事が終わって各自演奏。ディランも演奏を終えて。賞賛の声。
その後 おもむろに、ジョニー・キャッシュのいとこが。
「おまえ、豚肉 食わないだろう」とディランに聞きました。これは別の意味があるようですが。
ディランは
「はい、食べません。豚は三分の一が犬で、三分の一が猫で、三分の一が鼠だから」
と答えたそうです。
(ボブ・ディラン クロニクルより)
一同 大笑い。
これは、マルコムXのパクリだそうですが。

まったく、食えないおじいさんです。これからも楽しみです。







雨が降っています。ピンクの忍者が隣の部屋でギターを弾いています。

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「この頃、ブログを書いてないけどどうしたの?」と聞かれます。
「犬が死んだから」と応えると、不思議な顔をされています。
ペットロスも確かにありますが、
言葉を繕っている自分が嫌になっているのです。
ふと見ると、窓の外では時々黙々と椎の木の枝を切ってくれている人がいます。Nさんです。
穏やかで力強く謙虚です。
ああ、なんて自分はダメなんだろう。
言葉が多すぎて、それが世慣れて、まったくもって恥ずかしいのです。
チェーホフは雨が降ったら、雨が降ったと書けば良いと言っていました。
力が無いから繕うのでしょう。要するに自分に自信が無いから、口や文字で誤魔化すのでしょう。

昔こんな話がありました。
批評家の小林秀雄先生を招いて「阿蘇、雲仙合宿」という勉強会が昭和40年代、九州でありました。
知の巨人が来られるということで、先輩達は少しでも何か吸収してやれと参加した時の話です。
講演が終わり、学生との質疑応答の時間がいただけました。
何人かの学生たちが質問を終え、次に一人の学生が挙手し、 質問が許可されました。
そして、マイクの前に進んだ学生がいきなり、こう質問したのです。
「天皇と私たちは、どのように、お付き合いすれば良いのでしょうか」
学生が質問すると一瞬、先生の目が「キッ」と光を放ったようだったそうです。
それまでの様子とは明らかに違い先生は何も返事をされませんでした。
広間には水をうったようなシンとした空気が流れ、たった数秒間のその静寂がもの凄く長く感じられたそうです。
そして、
「君、本当に天皇に興味あるの」
小林先生は口を開かれ、はっきりと言われました。
そして、その後、「どうして、そんな質問ができるかなぁ」と呟かれたそうです。
自分が質問したわけではないのに、震えるほど怖かった、と話されていました。
「君、本当に天皇に興味あるの」この先生の声が胸に突き刺さり、決して忘れられない一言だったそうです。
その後、先輩はこう話されました。
これは「失言」というものではない。また「勘違い」でズレたというものでもない。
「本心は他にある」のだ。と「言葉を巧んでいるからだ」と
「本心は外にある」くせに不用意に吐いてしまうのだ。それを指摘されたのだ。と
要するに「その場を取り繕う」「偉く見せたい」「知ったかぶりをしている」という
「本心不在の状態」だと。
もう、何十年経つのだろう。何も進歩していない。だから自分が恥ずかしいのです。

でも、明日は来るのですね。
新しいコーヒー豆入荷しました。
😀ブラジルフローラルブルボン 200g 1520円 微かに花の香り、クリーミーな甘み。
😀ペルー カハマルカ無農薬 200g 1560円 ソフトな舌触り、柔らかな後味。

恥ずかしいで思い出しました。
次回は星の王子様に出てくる恥ずかしいがり屋の酔っ払いとボブ ディランの話をしましょう。








猫に愛された犬の話

猫に愛された犬の話

その犬は16歳と8ヶ月で逝った。苦しい最期だった。
背中の皮が剥け、痛さに苦しみ、犬小屋と垣根の間の狭い隙間に鼻先を入れて、夜じゅう鳴いていた。
朝には、力尽きて横になった。でも激痛は睡りを許さなかった。
視力のない真っ黒な瞳から大きな涙がこぼれた。
全身から生臭い匂いを発して時々切ない悲鳴をあげた。
そして日が傾き、たくさんの小虫が飛び交う頃この世を去った。
西の空は淫靡な夕焼けで羊飼いの星が光っていた。

その犬はおよそ番犬にはならないが、誰からも好かれる犬だった。
穏やかで怒った姿を見たことがなかった。
鳥が自分のエサを食べに来ても、猫が犬小屋に入って寝ていても黙って見ていた。
猫が大好きで猫を見ると「クーン、クーウン」と呼んでいた。
その犬が亡くなったその日は猫も落ち着きがなかった。
二階の屋根から飛び降りてみたり、犬小屋の近くの水道の蛇口にパンチしてみたり、
わけもなく二匹の猫でケンカしてみたり。
猫をつかまえて腹をさすってみると、柔らかい毛の下で心臓が激しく波打っていた。

アブに刺されながら、三年半前に亡くなった姉犬のそばに犬を埋めた。
「小さい頃みたいに、また二匹で駆けまわって遊びな」
いい子だな、いい子だな、何度も頭を撫でてやった。

薄闇は頭の中まで染みてきて、あたりは朧げになった。

「薄闇の空に小虫(ティンカーベル)の飛ぶような童話(おとぎ話)か二十六夜月」

ハナ、さようなら、いい子だ、いい子だ。
ハナ、さようなら、いい子だ、いい子だ。


ギター文化館には神さまが住んでいる、くるみコーヒーにも。

ギター文化館には神さまが住んでいる
中央、左手 小屋の前がたばこ畑

店内から観えるたばこ畑がずいぶん黄色になってきました。
朝から強い陽射しが背中を焼いて花の水遣りも容易ではありません。
入口の斜面を利用して植えた朝顔が真っ青で少し涼しくしてくれています。
ギター文化館の玄関前の薔薇の花も順調です。花の手入れを教えてくださる人たちのためにも、
いつも綺麗にしていたいものです。
でも、北面の土手には手がつけられません。
ツタウルシがはびこり、先日の強風で栗の枝が根方から裂けるように折れています。
あまりにも、過酷な作業が予測されるため、心が萎えてしまっています。

始めにこのギター文化館の一部で喫茶をやったら、と言われ、ここを訪れたとき、
ホールの暗がりに一枚の額を見つけました。
そこには、この施設が建つ前に、この土地を開墾しながら、夢見たおばあさんの作文が飾られてありました。
畑の真ん中に立って、空や山の景色を見ながら風や空気を感じながら、心から思ったのでしょう。
「ここに白い音楽堂が建って、人がたくさん集まり、田舎の人と都会の人が交流できる場所ができたらいいな。
今は夢のような話だけれど、私はこの夢をぜったいあきらめない」
と書いてありました。そして、おばあさんの夢は実現となり、ここにドーム状の白い建物が建ち、
ギター文化館という名称がつけられました。
私はここでやらねば、おばあさんの夢を具体化せねば、と思ったのです。

つい最近、「ここには、神さまがいるんだよ」
と、いつも冗談ばかり言っている人が真面目な顔で話されました。
「スペインから命懸けでギターを持って来た人がいて、この丘からの景色をグラナダの丘と重ね合わせる人がいて、ギター文化館という名前にしようと思った人がいて、大切な楽譜を預けようと思った人がいて、細部まで細やかにここを建てようと設計、施工した人がいて、素晴らしい響きを生み出すギターを作ろうと思う人がいて、慈しむように大事にギターを弾く人がいて、その人たちの想いが、このドームに染み込んでいるんだよ。気持ちの結晶が漂っているんだよ」
この人は、本気だと思いました。

おばあさんの夢、みんなの夢は、まだ途中です。
くるみコーヒーも微力ながら、できる限りのお手伝い、努力をします。
たくさんの人が楽しんでいただける場所を作るために。
「ここには神さまが住んでいるのですから」


无妄(むもう)って言葉があるようで

无妄ーむもう
本を読んでいたら无妄っていう言葉が出てきて
なんじゃこりゃって探していたら、易経の中に
「无妄、それ天の命なり。正にあらざれば、ワザワイあり」の一文に当たった。
「妄は誠の反対。いつわり。无妄はいつわりなきこと。
だから邪念、邪欲を捨てよ。さもなくば、自らワザワイを招きとる」
天の道に従い行動せよ、少しでもヨコシマな気持ちが生ずれば、天命助けず。
厳しいことを言っているな〜
无妄って
上の写真 我が家のスージーです。 ちょっと邪悪。

あれよ、あれよと言う間に天道を逸して行く話です。

数年前のことです。こんなことがありました。
その日は大風の後で商店街のシャッターは軒並み閉まっていました。
彼女は風に飛ばされた枝をバリバリと踏みながら駅前のタクシーで来店されました。
少し先に着いていた別の男のお客さまは、窓際の二人掛けのテーブルに付くと伏目がちにコーヒー液の色を確かめるかのようにカップの中を見つめていました。
口数の少ない男の人で、朝の納品の帰りに、たまに寄ってくださるお客さまです。この時間帯は、ほぼ限られた常連客が多く、何となく誰もが顔見知りのような雰囲気になります。
彼女はカウンターの奥の右端の一番暗い席に座ると、やけに豪華なラメ入りの手提げ袋から、本を取り出し読み始めました。普段は饒舌に話しかけてくるのですが、その日はたまに顔を上げ、また降り出した雨を気にしていました。
コーヒーを淹れる手を止め、
「昨日はずいぶん荒れましたね」と話しかけると
「春の嵐、今年はこういう日が、まだ何度もあるわ。わたしには分かるの」
自慢のダイヤの指輪を袖口で拭きながら、視線は外を見ています。
じっとりと湿った木立が黒く不気味に揺れていました。
10分以上沈黙が続いたのち、ボーンと鳴った柱時計の時報の音にかぶせるように彼女は男に話しかけました。
「息子さん、体調はいかが。私とっても心配しているの。ずっと考えてて、どうしても助けたいと思っちゃって。びっくりしたでしょ。ごめんなさいね。信じられないかも知れないけど、息子さんの体調良くなる方法があるの」
突然の行動に男はヒルミ体勢をとり直したのち、
「わかるんですか」と静かに尋ねた。
そして、彼女は「もちろん」と応えた。

その後は、かわいそうなことに 魔がさしちゃったんですね。あれよ、あれよと道が外れていきます。これもひとつの運命なのでしょうか。…… この続きは、機会があれば、いつか。


まあ、不思議な話を信用するしないの話で、よく見聞きすれば分かるようなことも、いっぱいいっぱいの時は頭ん中が蝋人形のようになっちまって、まるで分別がつかなくなっちまう。自分の考え方で妄想を作り上げてるようで思い込みが激しくなっちまってるから、何がなんだか、てんでわからず、これが事実だって言われちまえば、ひんまがった事実も、そう見えなくもねえつうぐらいの話を言われ続けているうちに、そんな気がしてきて、いつの間にやら絶対そうだなんて思い込んじまう。言ってる方ものってきて、暴走列車に乗ってるようで「神さまとどっかで待ち合わせしてる」なんてわけのわからんことまで言っちまう。
まあ、事実なんて曖昧で頼りないものですが、話が進んで時間が経つうちに、まったく別の話になっちまってることもありますね。
端で見てると哀れなんですが、当人たちはいたって真剣なんですね。
面白いか、面白くねえか分かりませんが、世間にはよくある哀しい話です。
まあ、自分の実力以上のものを求めちゃいけませんね。
こんな話は、たまに見かけますが、気持ちのいいもんじゃありませんね。
「人の世は過不足無く って思ってた方がいいようです」
悪いことをすれば悪いことがあるし、良くしてれば必ず良くなるって思ってた方がいいようですね。
気長に待つことが、大変でも必要なんでしょうね。
待ってるうちに死んじまうかもしれませんがね。
それも、良しとしなくちゃ。

无妄ーむもう(みだりでない) いつわりなき道ってことらしいですよ。
自戒でもあるんですけどね。



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